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公邸料理人への道@へ
公邸料理人への道Bへ
公開!! 公文書の巻!!
定時に関西国際空港を出発したスイス・エァーはやがて水平飛行へと
移った。「ポーン」と言う音と共にシートベルト取り外し可能のサイン。
窓から見るハズの日本領内の海は厚い雲に覆われて覗う事は出来ない。
サーヴィスの「ランソン」を一口啜りながら今日までのバタバタを
振り返ってみた。
ハワイの訓練を終えて帰国し、スーツケースに再び荷物を放り込んだ。
勿論そんなモンでは足りず、近くのサティやコープから貰って来たダンボール
にも電気製品、調理器具を梱包する。
念の為、件のT柳氏にTEL
「あんた、簡単に旅券やら旅のしおりを送ってくるけどハラレ着いたらどうすんの?」
と、派遣が決まれば職員様ともタメ口の僕でした。
至極まっとうな質問にT柳氏はこう答えた。
「ああ、大丈夫。どうせ日本人は奥見さんだけだから、イミグレでキョロキョロ
していて下さい。現地職員が見つけますから」
これだ、これから未知の世界っつーか何処にあるかも知れん国に行くのに
この軽さ。こっちはチキン・ハート(小心者)なのに・・。
そう、送られてきた航空券を見ると当然「片道」。プライスを見ると100万円に近い
数字。いつもバッタチケットばっかり買っている僕と違い国は正規料金
でお買い上げである。
公邸料理人の契約に、自己都合による帰国にはチケット代は出ません♪
と言うのがある。おとろしい話である。
荷物の都合で例によってビジネスクラスであるが、エコノミーでも
30万円コースであろう。 くれぐれも館員さんとトラブルを起こさぬよう
努め様と心に誓う僕でした。
この飛行機に乗る時、空港使用料のチケットを買い忘れたとか
荷物の超過でモメた事、さくらラウンヂでプチセレブ気分を味わったとか
を反芻しながら、忙しくてあまり読んでいなかった誓約書等に目を向けた。
(注・さくらラウンヂは関空内にあるファーストかビジネスクラスの乗客のみ入れる秘密の部屋)
ふむ、何やら仰々しいですな。
覚書と誓約書と契約書が重要書類3セット。
先ずは誓約書。当時の外務大臣河野さんのサイン入り。
内容はアレコレ誓いなさいよ。と言う感じ、字が小さいので
この部分だけでご容赦下され。
次に契約書、基本給が26万円で後色々とオプションが付きます。
細かな日割りの規定とか残業手当は無いとか書いてある。
で、最後は覚書。
何があっても後でツベコベ言わずに外務省の規定に従え、
もし予算が取れなかったら給料が減るかも♪
みたいな事が書いてあります。
ちなみにコレはガーナの時のです。
日本に帰り次第無職ですが良いですか?
仕事は斡旋しませんよ、みたいな事も書いてあります。
へいへい、ご丁寧に・・・。
あっちこっちにハンコをペタペタ押して出来上がり。
殆ど読んでません。
その時どきで判断すれば良い事です。アレコレ考えても仕方が無いし。
こんな書類が後6倍位ですね。
海外での常識とか免許書の切り替え猶予や税金の取り扱いを説明して
くれます。殆どは現地でゆっくりと読みました。
時々ビックリな内容も・・・。服装とか髪型やら・・・。
はいはい、でもソックスの色は別に何色でも良いと思いますが、
黒がご推奨でした。 知らんがな!!
退屈な書類を一通り読むと睡魔が・・・・。
少し寝ることにしました。シートをリクライニングさせ目を閉じると
出発前の友達が開催してくれた神戸での壮行会が思い出されました。
中学を卒業し姫路市内の専門学校に入学。
クラスが中学校卒業クラス、高校卒業クラスそして一般クラス。
卒業の前に希望者はヨーロッパへ行くことが出来ます。
その時に知りあった年上の方たちと今でも付き合いがあり、いい形で
ライバルです。
残念ながら中学校を出て入学した同級生に料理人で残っている人は
殆どいません。この業界は生き残り競争ですからね・・。
壮行会のメンバーは一線で活躍している人ばかり、僕も何とか
生き残れたようです。
これからの夢を語り励ましあう、良い集まりでした。
彼等に遅れを取る訳には行きません、何かを掴むまで日本には戻らない
覚悟を胸にここまで来たのです。
幾分興奮しながら夢から覚めると映画が始まっていました。
アルマゲドン、日航とスイスエァーの共同運航なので
日本語の字幕付きです。イヤホーンを耳に付け、うつろな眼で
字幕を追いました。
やがてクライマックス、ブルース・ウイリスとリヴ・タイラーの別れのシーン
そしてラストは往年の名曲Leaving on a Jet Plane「悲しみのジェットプレーン」
が流れてくる。
どうかキスして微笑んで、
ずっと待ってると言っておくれよ、
どこにも行かせないってふうに抱きしめてほしい
僕はジェット・プレーンで旅立つんだ
いつ戻れるかもわからない
ベイビー、でも行きたくなんかないんだよ…"
おいおい、なんて御誂え向きな曲をかけるんだい・・・。
そういえば空港で最後のゲートに入る時チラッと振り向いたら、ママンが
泣いていたっけ。
神戸で彼女に別れを告げて・・・・・、告げて・・・・・。
と、やたらと感情移入してしまって大変。
後少し突くと号泣してしまったかも。
そんなこんなで歌が終わり次はエアロスミスのご機嫌なナンバーが!!
助かった。
飛行機は僕の悲しみと期待を乗せてチューリッヒ国際空港へ。
多くの同胞日本人をスイスへと運んだ。しかし僕はここから更に12時間のフライト
を経てアフリカ南部へと行く。
悲しみは、ここチューリッヒでサヨナラ。これからは期待と希望だけを持って行こうと誓った。
当時はまだ規制が緩やかだった。免税店でスイスアーミーナイフが
買えたので6ウェイのを1本ゲット。ナイフ・ドライバー・ヤスリ等の付いたものだ。
スイスでのトランジェットは5時間。
アフリカ行きの国際線ターミナルに日本人は居ない、1人椅子に座り・・。
爆睡
我ながら良い根性だ。
やがて出発の時間、チューリッヒ発、ジンバブエはハラレ行き。高鳴る鼓動。
これから先は日本語は一切使えない、オール・イングリッシュ。不安だ。
何度も聞き返される「ドリンク」のオーダー、発音練習なのか?
もはや時間の感覚もない、既に時差ぼけも出てきた・・・。
寝るか、今・何時かもアヤフヤ。 後何時間だろうか・・・。
爆睡
アテンション・プリーズの声で起き、入国カードを貰う。
適当に書いて又寝た。
やがて着陸姿勢に入ったのか耳がツンとした、冷房も少し強くなり少しの振動を
感じると共に着陸。
周りの風景は以外にも沢山の緑と牛、不安は少し無くなり期待に変わった。
「ポーン」シートベルトを外せるマークが点灯。
立って背伸びをしてみた。
「ガチャン」と音がしてドアが開き埃っぽい風が吹いてきた、久しぶりの外気は日向の香り。
着いたよママン、ジンバブエだ。日本人は僕だけだよママン。
タラップを降り、滑走路を歩く。
少し向こうに体育館の様なイミグレが見えてきた。
つづく
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